尾瀬の郷片品湧水群

伊閑町の清水

硬度

55.0

pH

8.2

取水量(ℓ/分)

11

法的管理

×

冬期

×

Demo large

伊閑町は「いかんちょう」と読みます。昔は「伊閑丁」と書いていたそうです。いつごろ、なぜそうなったかはわかりません。

歴史

この方は萩原慎さん。お祖父さんのその前からここで農業を営んできた家です。この清水は萩原さんの母屋から20メートルほど離れたところにあります。ずっとここで絶えることなく冷たいおいしい水を出し続けてきました。
慎さん、地元の人たちには「しんあにぃ」と呼ばれていますが、まだ子供の頃にはこのあたり8軒の農家が皆この清水を生活に使っていたといいます。ここに初めて来た先祖の人たちがこの湧水を見つけ、恵みの土地として住みつき、農地を開拓していったのでしょう。

この方は萩原慎さん。お祖父さんのその前からここで農業を営んできた家です。この清水は萩原さんの母屋から20メートルほど離れたところにあります。ずっとここで絶えることなく冷たいおいしい水を出し続けてきました。
慎さん、地元の人たちには「しんあにぃ」と呼ばれていますが、まだ子供の頃にはこのあたり8軒の農家が皆この清水を生活に使っていたといいます。ここに初めて来た先祖の人たちがこの湧水を見つけ、恵みの土地として住みつき、農地を開拓していったのでしょう。

この倉は明治38年、しんあにぃの祖父・末吉さんが建てたもの。築100年以上ということになります。今も野菜や漬物など食べ物の保存や古い家財道具の物置として使われています。すぐ右側には急な傾斜地の崩落を防ぐコンクリートが打ち付けられているのが見えますが、その工事の際、支柱を埋めるため、周辺をかなり掘り起こしました。湧水口はそこから5、6メートルも離れていません。しんあにぃはじめ、土地の人たちは皆この工事によって水が出なくなるだろうと思ったそうです。しかし、伊閑町の清水は、真夏の強い日差しをきらりと反射させながら、昔と変わらぬ澄んだ水を今も出し続けているのです。おそらく相当深いところの伏流水から出てきているのでしょう。

この倉は明治38年、しんあにぃの祖父・末吉さんが建てたもの。築100年以上ということになります。今も野菜や漬物など食べ物の保存や古い家財道具の物置として使われています。すぐ右側には急な傾斜地の崩落を防ぐコンクリートが打ち付けられているのが見えますが、その工事の際、支柱を埋めるため、周辺をかなり掘り起こしました。湧水口はそこから5、6メートルも離れていません。しんあにぃはじめ、土地の人たちは皆この工事によって水が出なくなるだろうと思ったそうです。しかし、伊閑町の清水は、真夏の強い日差しをきらりと反射させながら、昔と変わらぬ澄んだ水を今も出し続けているのです。おそらく相当深いところの伏流水から出てきているのでしょう。

ちなみに、この地域、土出の読みは「つちいで」です。

totop